SUKIYAKI
今回は”SUKIYAKI”の話をさせてもらうことにする。といっても、今回は食べ物や料理番組の話ではなくて、私が最近”はまって”いる”SUKIYAKI”の話をしたいと思う。
”SUKIYAKI”というのは、実はみなさんもよくご存知の坂本九の『上を向いて歩こう』の海外でのタイトルなのである。最近の私は、すっかりこの唄に”はまって”しまっている。(うーむ、どう考えても70年生まれの男のセンスじゃないよな・・やっぱり感覚がずれてるのかなぁ・・・。)
’上を向いて歩こう 涙がこぼれないように
思い出す春の日 ひとりぼっちの夜・・・’
たった二行で終わってしまって、いまいちあいまいな歌詞なのだが、このあいまいさがなんとも私の想像力をかきたたせてくれる。どうして涙がこぼれそうなのか、どうしてひとりぼっちなのか、はたまた何を思い出しているのか・・・この唄を聴くたびに様々なストーリーが浮かんでくる。失恋したときや大事なものを失ってしまったとき、夢に破れてしまったときとどんなストーリーでもこの歌詞にピッタリと当てはまってしまうところが不思議で面白い。
そして歌詞もさることながら、私はこの曲がなんとも言えぬ雰囲気があって好きなのだ。私がこの唄を好きになったきっかけというのは、実はたまたまラジオを聴いていたときに、名前は忘れてしまったのだがあるロックの歌手がこの唄をギター一本で弾き語りのようにして唄っていたのを聴いて、そのカッコ良さと渋さにえらく感動してしまったことからなのである。フルオーケストラで聴けばきれいな曲なのだが、ギターやハーモニカ一本でこの曲を聴くとなんとも言えぬ郷愁感があって私の好きなブルースという音楽に聴こえてしまうのだ。実際、何人かのブルースの歌手はこの唄を唄っているし、こう、何と言うのか歌詞も曲調も実にブルースらしいのである。そして思わず私も、「こうやってでカッコ良く唄えたらいいな」などと考えてしまう。
先ほども書いたように、”SUKIYAKI”というのが海外でのこの曲のタイトルなのだが、ではなぜそんな妙なタイトルが付いてしまったのだろうか。それにはこんなエピソードがあった。
日本でこの唄が流行っていた頃、今度は海外でもこの曲を売り出そうという話が持ち上がった。そして、まずイギリスでだったと思うがこの唄が発売されることになったのだ。しかし、現地のレコード会社の担当者はタイトルを何にしようかと考えあぐねていた。日本でのタイトルを直訳したって能がない。が、ちょうどそこに以前日本に行ったときにえらく気に入って食べた”すき焼き”が頭をよぎったそうなのだ。こうして”SUKIYAKI(SONG)”が誕生した。あとから考えればなんとも安易なネーミングである。もしも、気に入った日本食が例えば”しゃぶしゃぶ”だの”いわしの煮付け”だのであったらそのようなタイトルになっていたのだろうか・・・。
それはともかく、”SUKIYAKI”はアメリカでもまたたくまに大ヒットし、ついに日本の唄で唯一全米ヒットチャートの一位にまで上り詰めてしまったのだ。そしてさらには全世界で発売され、とうとう世界中の人に唄われるようになっていった。
しかし、なぜ”SUKIYAKI”はそんなにも世界中で受け入れられたのだろうか。私が思うに、それは坂本九自身が日本語で唄ったからではないだろうか。これがもし、現地の歌手のカバーだったらおそらくまったく売れなかったのではないだろうと思うのだ。今でこそアメリカのコーラスグループなどが英語でカバーしているが、それも九自身の”SUKIYAKI”があったからこそそれが認められるのだろうと思ってしまう。逆に、今の日本の有名な歌手がアメリカなどで一生懸命に英語で唄を出しているがいまいちパッとしない。というよりもまったく相手にされない。なぜか、話は簡単なことだ。例えば、その国では有名な歌手が突然日本にやって来てその歌手を誰も知らない我々の前で、突然ヘタクソな日本語で唄われても誰がすき好んで聴くだろうか。私の好きなビートルズやエリック クラプトンがもしシャレではなくて本気で日本語の唄をうたっていたら。もうそれっきり聴かなくなるだろう。それとまったく同じだと思うのだ。
そうして考えると、唄というのは歌詞や曲といった表面的なものだけではだめなのではないかという気になってしまう。陳腐な言い方だが、その唄を唄う人、作った人そしてそれに関わった人達すべての想いがどれだけ込められているか、またそれは聴く方と共感できるものなのか、その辺が大事なのではないかと思う。そういった意味でも、歌詞なんてものは多少あいまいな方がいい。ただストーリーの説明になってしまっている唄というのは私は聴いていてつまらないからだ。
いい音楽を聴くというのも、実はそれを創るのと同じぐらいパワーが要るのだと最近つくづく思うのだ。私の場合なぜ音楽を聴くのかというのは簡単なことで、要はただその世界に入り込んで感動したいだけなのである。これまで散々能書きを書かせてもらったのも、多少”SUKIYAKI”に関する知識があった方がより感動できると思ったから勉強しただけなのである。そんな意味でも、パワーは要るが勉強したらしただけ様々な形で自分に返ってくるから面白い。
うーむ、、また長々としょーもないことを書いてしまったな・・・。
しかし、少し前までは見向きもしなかった曲が今はとても良く聴こえるというのが最近やたらと多い。それだけ興味の幅が広くなったということなのだろうか。確かに、音楽というのは様々な形で影響を与えてくれる。曲や詞を聴いて直接感動したり、またその曲の成り立ちやその周辺で起こった事柄に興味を持ったりと音楽を通して数多くの知識を得ることができたと思うのだ。だから、「演歌は暗くてダサいからいやだ」だの「民謡や童謡なんて古くさい」だのと言った”聴かず嫌い”はやめようと思っているのだ。
ということは・・ミスチルやスピッツも聴かなきゃだめかな・・・。